富山と函館 閉店デパート跡のその後

富山を旅したとき写真を見返していたら、こんなカットが出てきた。

撮影は2009年5月1日。

ホテルだろうか、デパートか。

いずれにしても営業をやめてしまっていることは確かだろう。

気になるので、同じ日に撮った写真のフォルダを探っていくと

こんな写真も見つかった。

どうやらデパートのようであり、店名の消された看板の色からすると…


早速ネットで調べてみると、これは西武デパートの抜け殻だった。

富山市内でいちばんの繁華街である総曲輪(そうがわ)3丁目の一画が

1972年2月の火事で焼失したため再開発が行われ、

そうしてできたビルに、1976年7月、西友ストア富山店がオープンした。

店内には元のこの土地の地権者の店も入居したとのこと。

その西友が1980年代になって西武百貨店へと衣替えしたのだそうだ。


しかしながら、やがて郊外にできたショッピングセンターに売上を奪われ

2006年3月末をもって、この西武百貨店富山店は閉店となった。

すると私が写真を撮ったのは、閉店の2年余り後のこととなる。

再利用、取り壊しといった新しい動きの気配はない。


その後、どうなったかといえば、

約7年を経た2013年2月「総曲輪3丁目地区市街地再開発準備組合」が発足、

この建物を取り壊し、23階建てのタワービルに建て替えられることが決まった。

1階から5階が店舗や事務所、6階から23階が総戸数206の分譲マンションになるとのこと。

2年半後の2015年末ごろ、ようやく旧建物の取り壊しが開始され、2016年に新ビル着工、

完成は今年(2019)3月、マンションの入居は6月から始まる予定という。

閉店から実に13年を要している。


う~ん、それにしてもこの富山市における西武デパートの一件、

よそ者ながら現函館市民としては、棒二森屋と重なって一抹の不安を感じさせられる。

時代は違えど、デパートができたのは、火災の後の復興がらみ。

聞くところによると、棒二森屋アネックスの敷地は、地権者がたくさんいるとか(真相は未確認だが)。

これは全国どこともだが、郊外店の影響などで売上が落ち込み、やがて閉店。

跡地再開発計画も、下の数階だけは店舗にして上はマンション。


棒二森屋も決定ではないが、似たような案が出ていたし、

棒二森屋に先立って、解体・建替の行われたWAKOデパートは、

同じように、下の数階は店舗ほか公共施設にして、上は分譲マンションになった。

そして、閉店から新しいビル完成までの年月が気になる。

(上の写真は、函館駅前にWAKOと棒二森屋があったころ

 下の写真は、WAKO跡の新ビルと、閉店1カ月前の棒二森屋)

富山西武と棒二森屋とでは、土地・建物の所有権者の立場や思惑、再開発費用の分担ほか、

事情が異なるだろうから何とも言えないが、

棒二森屋に代わる何かができるまで、いったいどれくらいかかるのだろうか。


WAKOデパートの場合、2013年10月末に閉店。

その後、ほどなく解体工事が始まったが、16階建ての新ビル着工は約1年後、

完成し「キラリス函館」として、低層の一部店舗がオープンしたのが2016年7月、

上層のマンションが完成したのは翌2017年春のことだった。


その間、約3年半。これでも早い方かもしれない。

大規模な事業になるし、直接の利害関係者だけでなく、行政や地域の声というのもあるし…

棒二森屋のアネックスだった建物は3年間の期間限定で営業延長。

本館跡に新しい何かが生まれるにも、最低3年はかかるのかもしれない。

富山市内にも、路面電車が走っている

(以前は市営だったが、今は富山地方鉄道が経営)


棒二森屋の記念誌

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