勝手に棒二森屋跡。絶対に無理だろうけど、こんな案

「発掘! コンクリート物語」という不思議な催しがあったので参加した。

午前8時半からの「体験バスツアー」と、午後2時半からの「函館湾岸コンクリート物語ビジネス価値創造フォーラム」の二部構成。

函館には、コンクリートブロックを使用した、近代海洋土木の嚆矢ともいうべき「函館漁港船入澗防波堤」がある。

また、コンクリートが高価だった時代に、コンクリートをはじめとする耐火建築でかためた通りを、大火の際の防火帯にするべく造成したという歴史がある。

その防火帯通りは、銀座通りと呼ばれ、今もいくつか当時造られた耐火建築が残っている。

さらに、隣の北斗市には、300年分のセメント原料を埋蔵する峩朗(がろう)鉱山と、約130年の歴史をもち、東日本最大の生産量を誇る、現太平洋セメント株式会社のセメント工場がある(その運営はグループ傘下の北海道太平洋生コン株式会社があたっているようだが)。

そんなわけで、この催しの趣旨は、函館湾岸の、いずれも歴史あるセメント生産とコンクリート使用の実例を基に、新たなビジネス価値を創造しよう、というもののようだった。


※念のため書いておくと、セメントに砂と水を加え練り合わせたものがモルタルで、

 さらに砂利を加え強度を高めたものがいわゆるコンクリートである

(ツアーは函館駅前発。バスの窓から、ロゴ消去中の棒二森屋アネックスも見える)

(北斗市のセメント工場。右手前に延びているのは、海上2キロに張り出した桟橋とを結ぶコンベア。原材料や製品のセメントの搬入出に使用される)


まずは朝からの体験ツアーで、太平洋セメントの工場を見学し、その後、ほとんどが車窓観光だったが、船入澗防波堤や銀座通り、二十間坂にある日本最古のコンクリート寺院や日本最古のコンクリート電柱などを見学した。


午後のフォーラムでは、地元の大学や高専の教員による「観光情報学とAI」「観光の魅力向上」、北海道太平洋生コン社長による「コンクリートとセメント工場」などの講演ほか、パネルディスカッションが行われた。

教員らの講演は、どこまでコンクリートと関係あるのか疑問もあったが、この日一日の案内役を務めた主催者代表の話などから総合するに、「函館湾岸のコンクリート関連遺産や設備をネタに、函館の新しい観光メニューを開発し、それをうまく発信して、観光振興につなげよう」というのが、狙いのようだった。

「ビジネス価値創造」は大袈裟すぎるにしても、やれ夜景だ、グルメだ、既存の観光資源にしがみついているのとは格が違う。


その後の懇親会には、北海道太平洋生コンの社長が参加していたので、

「コンクリートをテーマとした観光メニューもいいけれど、本当にビジネスの価値創造につながることって、可能でしょうか」と聞いてみると、

「決して不可能ではないでしょう」と言いながら、こんなことをおっしゃった。


最近のビル建築では、コンクリートは構造部分にしか使わなくなっている。外装は金属や窯業系のパネル張りが主流で、なかなかコンクリートは使ってもらえない。


ほうほう、なるほど。

それならば、函館市内に構造も外装もオールコンクリートで、目の覚めるような斬新なデザインの建物を建設して、その内部を函館のコンクリート歴史館のようにするのはどうだろう。

そうすれば、観光客だけでなく、企業関係者や産業視察にも来てもらえるかもしれない。その後はセメント工場見学。

スペインのビルバオなんて、フランク・ゲーリーによるチタン外装のグッケンハイム美術館ができたおかげで、世界中から来訪者が急増し、地域に莫大な経済効果をもたらしている。

それならば、棒二森屋本館を、超先進のオールコンクリートビルに建て替えてはどうだろう。

当然内部は資料館、歴史館。

船入澗防波堤築造における廣井勇博士の取り組みを詳しく紹介したり、

防火帯街路・銀座通りに形成された北日本一のカフェ街などもジオラマで再現したり。

そして「コンクリートの町・函館」を大々的に売り出すのだ。


絶対に無理というのは、火を見るよりも明らかだと思うが。


棒二森屋物語

(セメント工場からの帰りのバス、元棒二森屋本館も見えた)

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