祝ご盛況、姥神大神宮渡御祭。これからも、いつまでも

4年ぶりに開催された江差・姥神大神宮渡御祭が一昨日、閉幕した。

私は見に行けなかったが、地元紙の記事や写真を見ると、かなり盛り上がった様子である。


町内各地区から出される山車の巡幸が見せ場だが、その総数13台。

囃子の練習、巡幸の段取り、役の割り振りなど含め、前もっての準備からたいへんな時間と人手が必要だろう。

直近の数字はわからないが、町のホームページによると、江差町の総人口は令和2年で7428人。

単純に山車の数の13で割ると、571人で台の山車を支えるということになる。


弊社で刊行した『あのころの道南・下北を旅する』(星野勲著)にも、

昭和40年代前半の江差・姥神大神宮渡御祭の写真を収録していて、

その賑わい、人出の多さに驚くが、江差町の総人口は昭和45年で1万4896人。


当時と比べて令和の今は文字通り半減しているわけではあるが、

さらにこれを年代別で見てみると、

昭和45(1970)年は、0〜14歳の年少人口4051人、15〜64歳の生産年齢人口9764人、65歳以上の老年人口1081人

であるのに対し、

令和2(2020)年は、0~14歳の年少人口589人、15~64歳の生産年齢人口3950人、65歳以上の老年人口2864人

となっている。


主に祭りを支えると思われる生産年齢人口は、この半世紀のうちに約4割、

これからの祭りの担い手と考えるべき年少人口は約1.5割にまで減少している。

他の地方都市と同様、このように人口の減り行く町で、これだけの大祭を大盛況に導くには

地元住民、関係者、あるいは祭りの時期の一時帰省者も含めた

並々ならぬ苦労、努力があったに違いない。


しかし、今後の祭りの担い手人口の減少ぶりを見るに、

近い将来、いくら努力しても補いきれない状況が訪れてもおかしくない。


人口の減りゆく町でよく言われる

「人口が減っても交流人口を増やせば補える」

なんて考え方は、どこまで通用するのだろうか。


伝統行事で観光振興と言ったって、伝統行事を支える人間がいなくなっては絵に描いた餅。

観光業などの不安定で競争の厳しい産業に期待するより、

農業、漁業、製造業、IT産業など「実業」を盛り立て、定住人口を増やすことの方が、

長い目で見れば有効ではないかと思えるのだが。


言うは易し、行うは難し。

だが今、北海道を半導体の一大拠点にするべく取り組みが始まっている。

データセンター業務にしても、冷涼な気候の北海道は、

大量の熱を放出するサーバーやストレージ等の冷却コストでも優位に立てる。


以下は、『あのころの道南・下北を旅する』の誌面抜粋


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